https://www.amazon.co.jp/「週刊文春」編集長の仕事術-新谷-学/dp/4478102090
2016年からスクープを抜きまくっている週刊文春の編集長が書いている本。
本を読むまでは、週刊誌がスクープすることで、人の仕事が失われることもあり、どうしてこの人たちは、人の不幸を仕事にしている、嫌な人たちだという印象があった。
本を読み進めると本当に人間重視、人間を楽しいものと考える人たちが記事を書いているんだなと感じた。(人間ではなく、物質との間の業務を好む人には務まらない仕事だ)
【ラインを引いた言葉】
◆なにより私は人間が好きだ。人間が織りなす数々のドラマは本当におもしろい。
◆「週刊文春も人間の業の肯定」なのである。
◆人間対人間のとことん深い付き合いをして信頼関係を得た上で口説かなければ、本当の情報は取れない。
◆事件は「人間」が起こすものである。図式でもマニュアルでもない。人間として「がっぷり四つ」で付き合って、胸襟を開かせ、口説き、口を開かせて初めて我々の仕事になる。人間に気に入られて、人間にかわいがられてしゃべってもらうことが、我々の仕事なのだ。
◆相手の表情とか仕草、間合い。そういう温度感も含めて情報だからだ。「一瞬ちょっと表情が変わった」といったそれも重要な情報である。
◆どれだけ人に会うか、その出会いをどれだけ大切にするかに尽きる。
◆相手も人間だ。どこにその人の「琴線」があるのか、全神経を集中して探るのだ。
◆我々は会った人によって鍛えられる。つくづくそう思う。
◆私自身が雑誌作りをおもしろがらなければ、読者にそのおもしろさは伝わらない。もっと言えば、人生そのものをおもしろがる精神が大切なのだと思う。
なによりも私は人間が好きだと著者は話している。私は、カウンセラーの資格も保持しているが、人間が好きかと問われると、好きだと言い切れる自信はない。
ただ、ミャンマーに来ている日本人は好きだ。
ある大手企業の駐在で来ている人にミャンマーに来ることになったことをどう思っているか聞いてみた。
彼は「人生としては面白い」と語っていた。
社内の出世という枠組みでは分からないが、人としての生きていくうえでは面白い経験の一つだということだ。
ミャンマーに来る人の多くは上記のような、相反する感情を含みながらも前向きに、楽しく生活を送っている。
私はそこに人間らしさを強く感じ、ずっと一緒にお酒を飲んでいたいと思うのである。
こういう人への興味は尽きない。
「会った人によって鍛えられる」と著者は書いているが、私もミャンマーで出会う人と話し、時には仕事をし、人間として鍛えられたいと思っている。