ビルマの竪琴を読んでいるが書かれているミャンマー人観が秀逸すぎる

最近はKindleでビルマの竪琴を読んでいる。

約70年前のミャンマーの光景、奏でられる音楽の力強さ等響くところは多々あるが、ミャンマー人の捉え方が今とも通じるところがあり、感銘を受けた。

【引用】

◆ビルマ人は生活のすみずみまで深い教えにしたがっていて、これを未開だなどということはとうていできない。われわれの知っていることをかれらが知らないからとて、馬鹿にしたら大まちがいだ。

かれらはわれわれの思いもおよばない立派なものを身につけている。しかしただ、これでは弱々しくて、たとえばわれわれのようなものが外から攻めこんできたときに自分を禦ぐことはできないから、浮世のことでは損な立場にある。

もうすこしは浮世のことも考えなくてはいけないだろう。

この世をただ無意義だときめてしまうのではなく、もっと生きていることを大切にしなくてはいけないだろう。

 

◆かれらはまだ自分が主になって力や富や知恵ですべてを支配しようとは思わずに、人間はへり下って、つねに自分より以上のものに抱かれ教えられて救ってもらおうとねがっているのです。
◆つまり、人間の生きていき方がちがうのだ、ということになりました。一方は、人間がどこまでも自力をたのんで、すべてを支配していこうとするのです。一方は、人間が我をすてて、人間以上のひろいふかい天地の中にとけこもうとするのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です