ミャンマーで大切な基準が自分の中にあるのか、自分の外にあるのか

最近、ミャンマーで仕事をしたり、家族と話をしていて思うことは、内的な基準を強めに出していく必要があるということだ。

 

内的な基準とは自分の中の判断基準のことで、外的な基準はマニュアルや慣習など、自分の外側にある判断基準のこととして考える。

 

日本で働く場合すでにマニュアルが整備されていたり、こうすればうまくいくという過去の経験の積み重ねを知ることができる。つまり外的な基準で物事を進めてうまくいく可能性が高い。

 

もっというと日本の学校教育も外的な基準に適応できる人間を育てようとしている側面が強いと思っている。

 

一方で、ミャンマーで働く場合は、マニュアルはもちろん整備されておらず、過去の経験の積み重ねもない、更に、皆ミャンマー人たちは私の目からはどう見ても、適当なことだとしか思えないことを自信を持って語っていたりする。

そして、彼らは人の話を聞かず、自分の言い分を通すことしか考えていなかったりもする。

 

こんなハチャメチャな混沌の中で、外的な基準を用いるマインドでいると、まったく進めないか、ハチャメチャな方向に進んでいくしかなくなってしまう。

 

さらに、彼らは一度表面上は同意をするけれども、まったくプロセスを進めないという技を使ったりするからなかなか厄介だ。外的な基準になりえないケースが多い。

 

そんな時は、

「ミャンマー人が主張することよりも、私が考えることの方が成功率が高い」

とちょっとだけ、いつもよりも強く内的な基準に比重を置いて、実行し、フィードバックをとっとと得ることが最も効率的なことだと思っている。

 

基準を自分の中において、とっとと行動する。きっと、行動の際は行動に伴う痛みがあったり、先が見えなくなったりするんだろうけど、それでもまったく進まない状態からは脱している。

 

行動とフィードバックを得ざるを得ない素敵な環境がミャンマーなんだろう。

 

「これがミャンマーのやり方だ」「一般的なミャンマー人はこう考える」と彼らは外的な基準に当てはめようとしてくることもある。

 

そんな時は、「うるせぇ、俺のやり方がお前のやり方よりも成功率が高いぞ!」と内的な基準のギアを3段階くらいあげて対応するのがちょうどいいと思っている。

 

人に頼っては進まない。自分の基準で進めるところまで進んでいこうとギアチェンジをした。

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