ミャンマーにいると性格が変わらざる得ない理由

それは性格が変わらないと生き延びられないからだ。

 

今回は、外的な基準と内的な基準のどちらを重視しているのかで考える。

外的な基準はマニュアルや慣習など外部の基準で、内的な基準は自分の中にある基準として考える。

 

多くの人は外的な基準と内的な基準の、どちらかの方が強い。

自分の意見ばかり言う人もいれば、人の言うことばかり聞く人もいる。

これらは、状況によってパターンが変わったりするものだ。

 

ここミャンマーは、内的な基準を重視しないと、仕事も生活もできない環境だ。

仕事でいうと、自分の言うことを理解させないと、恐ろしい方向に進んだり、全く進まなくなったりする危険がある。

家族でいうと、皆が自分がやりたいことを大声で主張し、自分の基準を持たないと、自分が望む環境が全くつくれない危険がある。

 

このような環境では、周りの人間の声に耳を傾ける割合が多いと、失敗する可能性も高いし、気持ちが辛くなる。

 

周りの人間の声を聞くことよりも、自分の内的な基準を強めていく必要がある。

 

ここ最近は、気づくと日本にいる時よりも言いたいことを主張していたり、これはやりたくないと断ったり、話をしている相手を見て反論を考えたりしている。

 

内的な基準か外的な基準のどちらの基準が強くなるのかは、

どうすることが、生き延びやすいかで決まるんだと思っている。

 

外的な基準を強くした方が、生き延びることができるのであれば、人の目を気にして合わせようとするし、

内的な基準を強くした方が、生き延びることができるのであれば、人の目など気にならず、自分の主張をする。

 

これは子供の時の教育にも関わることだと思っている。

極端な例だが、

子供の時に、親が親の基準だけで育てようとして、子供の「こうしたい」「ああしたい」という気持ちをくまない場合は、子供は生き延びるために、外的な基準(親の基準)を重視するし、

 

親が子供に関心を持たずに、放置されているような場合は、外的な基準が欠如しているので、子供は生き延びるために、自分の基準で物事を判断する行動を取ることを重視する。

 

どちらが良いか悪いかということではなく、それぞれの人のパターンがある。

 

ミャンマーに来ている日本人と話をすると、内的な基準を強く持っている人に多く出会う。

これは、元々内的な基準を強く持つ人がアサインされるということもあると思うが、

ミャンマーで働くに際して、内的な基準を強く持たないと生き延びられないということから、後付けで強化されたものでもあるのだろう。

 

このような性格の変化さえも、必要に迫られる経験を多くできるのがミャンマーのナイスなところだと思っている。

ミャンマーの成長とともに自身の内面の変化も楽しんでいこうと思っている。

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