妻の前職の同僚と家族で食事をした。
妻の前職はMyanmar Timesという英字新聞を発行している会社の記者であり、今回食事をした同僚は一人は同期、一人は先輩という関係である。
二人の同僚は社内結婚し、今はシンガポールに移住をして生活をしている。
彼女たちには、9歳になる娘と1歳になる息子がいる。
9歳になる娘はシンガポールの公立学校に通っており、年次は3年生ということだった。
親子の話に耳を傾けると英語で会話が聞こえてきた。
時折ミャンマー語の会話も聞こえてくるものの、9割方英語での会話が聞こえた。
話を聞くと娘は学校では英語、家では英語とミャンマー語で会話をしているとのことであった。
同僚の娘は英語の方が得意であり、ミャンマー語を話すときは一度英語で解釈をするステップが頭の中で繰り広げられるということだ。
当たり前の感覚で2カ国語を操る少女を見て、日本の公立学校で教育を受けた私の感覚にはない、異次元の世界観を感じた。
私の同僚や知り合いなど、多くのミャンマー人はシンガポールで働いた経験を持っている。
彼らはたまたまミャンマーへ戻ってきているが、そのままシンガポールへ定住する人ももちろんいて、その定住者の子供たちは英語での教育環境に身を置いている。
今後、日本人が日本の中だけで働けることは、マーケットの縮小に伴って、非常に難しくなるという話をよく聞く。
海外に出た際には、幼きころから英語教育を受けてきた人たちと競っていく必要がある。
そして、そのような人たちと競っていけるのだろうかという不安感を覚える。
妻の同僚はシンガポールで日系の会社に働いていたという。
上司・同僚の日本人は頭が良く尊敬していると話していた。
現状は、日本の先人たちの功績から、日本人は優秀だと一括りで判断されているが、
日本の経済が縮小し、アジア各国の経済が成長していった後に、アジアの中で日本人はどのように見られ判断されていくのだろうか。
食事の最後に、妻が、夫である私の英語がブロークンで恥ずかしいというようなことを会話のネタにしていた。
そのときは妻の日本語の発音も聞き取れないので、恥ずかしいと冗談で返したが、
英語がこのままのブロークンでは絶対にいけないんだろうと、心の奥で危機感を感じた。
少しずつ頑張っていこう。