もっと責任を持って仕事をしてほしい。
そう感じることがここ一ヶ月で何度かあった。
「これは私のスコープ(責任範囲)外だ」
という声を何度も聞いた。
そんな声を聞く時はいつも、彼らの顔は少し曇り、不安な表情を浮かべている。
「今すぐ来い!!」
ある時、シンガポール人から電話でお問い合わせがあり、ミャンマー人同僚が強い口調で対応されていた。
「これは私のスコープ(責任範囲)外だ!」
シンガポール人への怒りの感情と共に、彼が私に向かって発した声が聞こえた。
私がスコープを整理し、シンガポール人の上司である日本人へ説明し、責任範囲について理解をいただいた。
顧客としてはそのうえでもなお、何とかしてほしいという要望であった。
それでも彼らは対応することを避けた。
初めの強い口調に対して今でも怒っているからだ。
シンガポール人はミャンマー人に対して厳しく接してもいいと思っている。
日本人である私がシンガポール人と会話をすると、非常に尊敬した態度を感じたが、
ミャンマー人の同僚が会話をすると、「お前そんなことも分からないのか?」になる。
国の経済レベルでレッテルを貼り態度を変えている。
レッテルを貼られた状態で仕事をすると、
質的・量的共に理不尽の依頼が多くなるリスクが生じる。
そのため、対応すること自体を避けてしまっている。
そこで対応を避けられると、仕事が進まないので、
私としては、何とか対応してほしいと思っている。
スコープが不明確なら、明確にすれば良い。
明確になったスコープをもとにして対等に話をすればよい。
ただそれだけだ。
レッテルを貼る人であっても、順序だって仕事をすれば、仕事は前に進む。
怒って何もしなければ、何も進まない。
上記のように、問題を解決せずに、問題自体を避けようとするのはなぜなのか。
それは、問題を解決したことのある事例が極端に少ないからだ。
これは、経済開放のタイミングともかかわっている。
テイン・セイン大統領が経済開放を進めたのが2011年からである。
その頃からやっと海外の人と仕事をする人や、そもそも会社員として仕事をする人が増えてきた。
会社員が増えたのが6-7年前なので、会社員として問題を解決した事例がなく、自分で解決するしかない。
自分で問題を解決することが苦手であったり、ほかの解決事例を参考にしたい人には、なかなか難しい状況である。
かといって、教育に関しても暗記がメインの教育であり、考えさせる教育ではない。
考えさせる教育を受けていない人が、目の前に困難が発生した場合に取れる行動は、
回避するという行動になることもうなずける。
一緒に働く私はどのようにとらえたらよいのだろうか。
正直私も海外で働き始めて半年が過ぎた程度だ。
目の前に困難が立ちはだかることは多々ある。
その困難を、共に解決していければ、事例がない分、お互いの素敵な思い出になる。
事例があれば解決するのが当たり前だが、事例がなければ、解決することが物語になる。
ミャンマーで同僚と物語を紡いでいくのも悪くはないと思っている。