専門性から外れた業務を行う際に、ミャンマー人が思うたった一つのこと

短期的な目線・感覚ではなく、長い目で見て物事を認知してほしい。

 

「私は肉体労働者じゃない」

 

とあるミャンマー人エンジニアが発するこの言葉が、何回か聞こえてきた。

通常行っている業務とは異なり、機器の運搬のみをするという案件の打ち合わせの際に聞こえてきた言葉である。

 

顧客との長期的な関係性を見据えて、ファーストステップとして、シンプルな業務であっても取引をすることを目的としていた。

 

 

「やりたい仕事は私が決める」

専門性の範囲から外れた業務を振られた時に、突如、彼・彼女達の内的な基準が顔を出す。

 

彼・彼女達は専門性を深められる仕事であれば喜んで行うが、

そうでない仕事は拒否をする。

 

日本でいうところの、『就社』という考え方が非常に少ないことが理由だ。

多くのミャンマー人は給料がもらえるのであれば、働き場所はどこでも良いと思っており、

その給料を払う企業はミャンマー人の専門性でその人の価値を測る。

 

 

今回の件でいうと、ここで機器を運搬をしたとしても、専門性が深まる訳ではなく、

今後給料が上がるためのステップではないと考え、仕事を拒否するのである。

 

 

正直この考え方は近視眼的だ。

専門性の深まる、大きなイメージの仕事は、小さな仕事の後に来る。

小さな仕事もまともにできない担当に、専門性の深みを感じるような仕事を頼む訳がない。

 

この小さな仕事が、大きな仕事につながっており、

その仕事が専門性につながり、専門性が身につけば、

給与明細を見ることが楽しくなると、

金額的な目線と長期的な目線を併せて物事を伝える必要がある。

 

 

今回直面したことから、改めて日本の会社の良い部分が見え、実感できた。

それは、多くの社員は上からの指示があれば専門から外れる業務であっても、

実行するマインドを持っており、問題なく実行できると想定できることだ。

各社員が『就社』という概念の下、会社を信頼しているからこそ、専門性から外れていても実行する。

 

 

いちいち専門から外れたと言って、業務を行う意味を共有し、

相手の腑に落としていくというプロセスを毎度毎度取ることは、

コストメリットが悪い。

 

 

 

こういった状況で私はどのように考えるか。

 

コストメリットが悪くとも、しっかりと説明をして、

そして理解をしてくれて、

チームとして、小さな仕事から大きな仕事につなげることができたのならば、

それは、ミャンマーで働く楽しさがより見え、実感できる瞬間なのかもしれないと思っている。

 

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