それは独立することだ。
私が入社してからずっと一緒に仕事をしていたミャンマー人が会社を辞めることになった。
客先へ向かうタクシーで、「いつかは辞める」という話を何度も聞いていた仲だったが、
実際に辞めるとなると寂しさが募る。
彼は今年の末に香港でIT系の資格試験を受験予定だ。
その試験に合格すると、特定メーカーの機器を安価で仕入れることができる。
ミャンマーの会社はその資格を持った人を雇いたい。
もっというと、名前を借りるだけで良い。
資格取得者の名前を表示して、機器を安価に仕入れることができるからだ。
彼は資格取得後、自分の名前を企業に貸し出す。
それでライセンス権的に収入を得ることができる。
もっと稼ぎたかったら通常業務に付けば良い。
このように、多くのミャンマー人は独立することを視野に入れて日々の業務を行っている。
こういった働き方は、個人的には賛同できる。
才能と努力を積み重ねた人はそれで成功して大金を手に入れられる。
一方で、才能の限界があったり、努力が行き届かない人は、稼ぐことができない。
全て自己責任のプロ野球選手のような生き方だ。
多くのミャンマー人がそういった働き方を考えているといことは、
ある意味先進的な考え方をする人が多いということだ。
一方で、国の視点で考えてみると、この考え方をする人が多いのはいかがなものかと思う。
多くのミャンマー人はビジネス上の基準がゆるい。
努力をするといっても、日本で働くサラリーマンの努力とは比較にならない。
こういった、人たちが、プロ野球選手のような働き方をしたところで、
どれだけの人が、ご飯を食べることができるのであろうか。
何も社会に価値を提供できない人が多数な状況になるだけなのではないのか。
独立を目指すミャンマー人よりも、日本企業で働く多くのサラリーマンの方がより、厳しい鍛錬を積んでいる。
そして日本ではその鍛錬されたサラリーマン達が簡単には辞めない。
多くの価値を提供できる人が、確実に一定数いる。国の観点からすると、素晴らしい状況だ。
多くのミャンマー人が考える独立をするという思考だけではなく、
一定程度の鍛錬をビジネス上で行うことが最も大切なことだと考える。
会社を辞めていく彼は今後どうなっていくのか。
10ヶ月間の付き合いであったが、かなり濃い付き合いをした。
退職後も付き合いを続けて、お互いの近況を語り合っていきたい。
数年後はお互いに懐、心に余裕を持った素敵な会話をすることは間違いない。