村社会無理だなぁ
ミャンマーで最も有名なブロガーの一人である恐れ入谷さんの以下記事を読んだ。
以下引用。
しかし 海外ではその多層なコミニティがないので
唯一の関係社会が仕事仲間か駐在員仲間という関係
或は職域駐妻同士の関係のみの関わりしかなくなる。そこでは 江戸の時代の日本農村のような
閉鎖した社会が醸造されるのは物の道理である。
唯一の関係社会が仕事仲間か駐在員仲間という関係
或は職域駐妻同士の関係のみの関わりしかなくなる。そこでは 江戸の時代の日本農村のような
閉鎖した社会が醸造されるのは物の道理である。
海外で日本の枠組みから外れて生活をしているようだが、
実際は真逆で、枠の中に押し込む必要があるようだ。
こういった村社会はなんの役に立つのだろうか。
同一性に基づく安心感を得られるのだろうか。
ただ、その安心感を得ることでなにかメリットがあるのだろうか。
世界は多様性の中で進んでいる中で、日本人若しくは一定数のグループ内での同一性に大きな意味があるとは思えない。
あるのは、一時的、限定的な安心感だけではないのだろうか。
学生時代にも近しいコミュニティーのようなものは存在した。
私は幸いなことに、コミュニティーから外れていても、
動じない(気づかない?)性格であったのか、特にコミュニティーに依存をして生活していなかった。
ここミャンマーでは、妻がミャンマー人ということもあり、
何か困ったとしても、日本人社会にお願いをしなければならないことは基本ない。
好きな人とつきあい、苦手な人とは距離を置けば良い。
非常にストレスフリーな環境だ。
今の、生活環境はかなり良いと恐れ入谷さんの記事を読んで思った。
ありがとうございました^^