ミャンマーで、人とのつながりが濃くなるたった一つの理由

限られた日本人・物質の中で、生き方について深く考えざる得ない環境であり、

そして、TV等の共通認識がないため、

同じ”日本人”、”親”、”夫”として思考した自身の内面の話が、共通話題となるためだ。

 

昨晩は友人夫妻の家で妻・娘と共に食事をいただいた。

友人といっても、60歳を超えており、私の両親と近しい年代の方だ。

なので、子供の世代である私達に、友人のように気さくな関係にしていただいている懐の深い人というのが、正しい表現だろう。

 

定年まで勤めていた大手企業では、海外赴任の期間が長く、定年後は別会社に腕を買われて、ここミャンマーで代表として働いている。

 

話は流れは自然と人生観へと向かう。

海外での子育て、当時の夫婦間の役割、生活の工夫等々、一本のドラマを見ているかのような話を聞くことができた。

 

60代の世代は高度経済成長期真っ只中の人で、夫の収入が右肩上がりで、妻は専業主婦として家を守るという、伝統的な形式が合理的・有効的に機能していた時代だ。

 

話を聞きながら、今更だが、この形式は非常に理にかなっていると腑に落ちた。

夫の稼ぎが上がる前提があれば、妻は家庭を固めることのメリットが大きい。

そして、多くの日本人妻は真面目に、きめ細やかに子育て・料理をして、夫をモチベートし、子どもたちの成長に寄り添う。

 

経済的な成長を前提に、家を守り合う関係性だ。

 

現状の私達はどうなのだろうか。

共働きをしている。

共働きをする際に欠けることは、料理だったり、子供へ向き合う時間だったりする。

この欠けてしまう部分を補う施策が打てればよい。

ミャンマーでは、家事はお手伝いさんを雇ってほぼ月3,600円でやってもらえる。

子供との時間は土日でしっかりと計画を練る。料理はそもそも夫婦間で嗜好が大きく異なっているので、自分が作りたいものを作るしかない。

伝統的な形でいくことができないので、自分たちで考え、より良い方策を取っていくしかない。

良い機会だと捉えている。

 

 

 

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